閉店してから後片付けに入りました。
特に僕は今後お店を開業する為にと師匠から色々なものを貰いました。
ラ・カシータで使っていたフライパン、鍋、キッチンポット、ブレンダーやグラスに至るまで、数えきれません。
それに、ラ・カシータのアルミの鍋には僕は特に思い入れがあって・・・
料理人なら当たり前の事ですが、僕は修行時代にこれでもかというくらいに暇を見つけては鍋みがきをしていました。
そんな僕の行動を促したのは他でも無い、ラ・カシータの修行時代に知った僕の最も尊敬する料理人の一人、帝国ホテル初代料理長故・村上信夫氏の生涯をNHKのドラマで見たからです。
その時代の人達はまずは見習いとしてずっと洗い場だけを担当させられて、1日中鍋磨きをするというのが当たり前だったみたいです。
その中で村上さんは、鍋磨きも大事な仕事なんだ、汚れがついてしまっている鍋ではお客様に作る大事な料理の味が変わってしまうじゃないか、と言って毎日仕事が終わってから鍋を磨き、厨房にある鍋全てピカピカにしたのでした。
僕はその話に感動し、わかりやすく影響されて僕も暇を見つけては鍋を磨くという習慣がつきました(笑)
それに僕が修行してた時代は、ほぼ同期に入った良きライバルがいてくれたおかげで、切磋琢磨する事もできました。
そいつは、服部調理師専門学校を卒業している、料理歴も僕よりも長い、しかもメキシコを旅して来て帰国したばかりという何においても僕よりも凄い経歴の持ち主でした。しかも年下(笑)
一方僕はというと、当時25歳という遅さで東京に2ヶ月前に上京したばかり、メキシコはアメリカとの国境を渡り数日しか行った事が無い(行って無いに等しい)、料理歴も浅く元々は土木作業員の親方をやっていたという経歴。土方時代は食べ物にも疎く、完全に質より量、と言った具合で正直キャベツとレタスの区別も曖昧だった感じでした。(今思うと人としてどうなの?と思いますが笑)
当然、先輩方には何かとその子と比べられました。
ただ先輩方もみんな良い人だったので冗談でそう言っていたのは当時も理解していましたが、それでも僕はやはり傷ついたし悔しかった。
だから負けないようにと必死でした。
そんなコンプレックスもありましたし、最初はその子の事はちょっと苦手だったのですが、何しろめちゃめちゃ良い奴なんです。
僕が出会った中でもこんなに良い奴いないって位、素直で思いやりがあり、自分の芯を持っている男でした。
いつの日か切磋琢磨する日々の中で、リスペクトに変わりました。
そいつは僕よりも少し早くラ・カシータを卒業しましたが、最後の日に、
「今まで負けない様にと意識して来たからこそがんばって来れたと思います。本当にありがとうございました。」
という様な事を言われびっくりしましたが、あぁ、僕と同じ様な気持ちでいてくれてたんだと思いとても嬉しくなりました。
そいつの事は今でも生涯ライバルであり、良き友だと思っています。
そんな事もあり、僕が働いたお店の中でも本気の本気で修行したお店でとても思い入れが沢山ありました。
だからこそ、10数年前、約3年の修行を終えて、ラ・カシータを卒業する時、僕は最後の日にみんなに内緒で1人で店に残り、1晩かけて徹夜でお店の鍋を全てピカピカに磨いて帰りました。
次の日、先輩方や師匠がお店に来た時に鍋が全部ピカピカだったからとてもびっくりしたと後から聞かされました。
当時の僕としては本気で修行させて貰ったお店だから何か残したいという気持ちが強く、むしろ当たり前の事だと思っていました。
今回師匠のご好意で鍋などを譲り受ける事になったので、初心にかえってラ・カシータで最後の鍋磨きをしました。
まさか40過ぎてからまた鍋磨きをするとは夢にも思いませんでしたが、やっぱり僕は鍋を磨くのが好きみたいです(笑)
大事な仕事でもあるし、精神統一にとても良い。
それに大事な気持ちを思い出しました。
この気持ちを忘れないように精進したいと思います。
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